100分de名著 オルテガ『大衆の反逆』第一回 大衆の時代

100分de名著

 

私の大好きなテレビ番組、100分de名著 Eテレ月曜 22:25〜22:50

 

簡単なまとめと感想をつづります。

今回の名著は20世紀を代表する文芸批評『大衆の反逆』
作者のオルテガは大衆の時代の到来を今から1世紀前に予見した哲学者で思想家です。

 

大衆の時代とは近代化や医療の発達で増えた大量の人間たちが社会の主役となる時代。

第一回ではオルテガの考える大衆とは何か。その素顔に迫ってみましょう。

 

あなたは自分のことを「大衆」だと思いますか?

司会の伊集院さんは自分自身を大衆だと思うと答えていました。
わたしは世の中に対して生きづらい感覚を抱えているので大衆に攻撃されていると感じることがあります。
ということはわたしは自分自身を大衆とは捉えていない事になるんですね、

大衆ってどういう意味でしょう。日常会話で「あれは大衆映画だ」と深みがないという意味で揶揄したり、
大衆酒場というとなんとなく安く飲み食いできるイメージがあったりします。

普段使っている言葉なのに考えてみると全然わかっていない。大衆とは誰のことなのでしょうか。

20世紀のヨーロッパでは近代化や医療の発達により、
たった1世紀で人口が1億8千万から4億6千万人にふくれあがりました。

3世代のあいだに人間の巨大なカタマリが生産され、氾濫したのです。

溢れた人間たちが都市に集まり、根無し草のようにふらふらしているのを見て
オルテガはこれからの大衆の時代を予見しました。

オルテガの定義した「大衆」とは
  • mass man大量にいる人たち
  • 根無し草になってしまった人たち
  • 個性を失い、何者でもない群衆化した人たち

大量に増えた人間たちが、農村でかかえきれずに都市に流入します。
しかし都市にきても今までの農村の暮らしと工場で働くことが違いすぎて、適応できません。

これまでの人間は8時間工場で立ったまま同じ作業をしつづけることを経験していませんでした。
特殊な訓練が必要です。

近代の学校教育は、校長の話を立ったまま聞かせつづける、座って授業を受けるなどの訓練をさせて、
一方的にじっと話を聞いていられる身体をつくることを目的としてきました。

それにより、訓練で工場で働くことのできるパーツのような人間が大量に生まれることが
個性を失い、何者でもない大衆を形成したのです。

大衆イコール庶民?

では近代で都市に住む庶民みんなが大衆なんでしょうか。

オルテガの言う「庶民」は都市に流れ込んだとしても、そこでコミニュティーを作り、地に足をつけ、友達や役割を持って生きている人たちで「大衆」とは明確に区別しました。

根を張って生きているという意味で、江戸の人たちは大量に人口が大都市に流入してきても「庶民」と言うイメージがありますね。

大衆は貴族ではない人、エリートではない人という階級的な意味ではなく、生き方の問題なのです。

どんな生き方が大衆なのか、大衆の反逆を引用します。

大衆とは、みずからを、特別な理由によってよいとも悪いとも評価しようとせず、
自分が〈みんなと同じ〉だと感ずることに、一行に苦痛を覚えず
他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる
そのような人々全部である

大衆のこのような特徴をオルテガは平均人と呼んでいます。

平均人は自分でよい悪いの判断はせず、型を押したようにみんな同じタイプの人間である事をのぞみ、
みんなと同じが正しいと感じています。

例えばパーティーのドレスコードを見て、一体どのくらいのレベルで着飾ればいいのか。
ネットで平均を調べて参加したときに、他の参加者を見渡して「あ、だいたいおんなじ感じだな。」と思うといい気持ちになります。

平均人は平等の名のもとに型の違ったものや秀でた人を弾き出そうとします。
彼らは数が多いことを正しいと思っており、個性や歴史的な重みを考慮しません。

風船のように風の流れによって周囲の軽いイイね!に同調します。

そんな彼らには自分の能力を過信し、慢心する性質を持っているのだとオルテガは言います。

人間の生のもっとも矛盾した形態は〈慢心した坊ちゃん〉という形態である。
〈慢心した坊ちゃん〉とはとてつもなく異常なものだということがはっきりわかると思う。
なぜならば、かれは自分でしたい放題のことをするために生まれおちた人間だからである。

大衆は、みずからの凡庸さに気づかず、その能力を過信して、なんでも出来ると勘違いしています。

オルテガは彼らを自分が多数派だという事にあぐらをかいている〈慢心した坊ちゃん〉と呼ぶのです。

慢心した坊ちゃんは

  • 正しさを所有できると勘違いしている
  • 自分を完全だと思う愚か者
  • 自分を越えたものへの畏敬の念がない

という特徴があります。

坊ちゃんたちは多数派であるゆえに、歴史のなかの叡智や自分を越えたものも
自分たちの都合で変えてしまってよいと考えています。

専門家はなぜまちがえる

オルテガはエリートで連想するような科学者も大衆的人間の原型と書いています。

むかしは単純に知者と無知なものを分けることができた。

しかし専門家は専門分野について詳しいから無知ではない。けれども自分の専門領域にないことを知らないたてまえだから知者ではない。

彼らを知者と無知なものどちらにも入れることができないのである。

専門家はなぜまちがえる。

専門家はその専門領域についてまだ浅かったから間違えたわけではない。

そこしか知らないから間違えたのだ。

このような無知な知者が増えたことが重大なのである。

オルテガは大衆を考えなしの根無し草だけでなく、微小な世界のみで生きているエリートも大衆であると言っています。

 

 

今回のテーマは入りが難しい部分もありましたが、オルテガの強めのディスりとユーモラスな言葉のセンスが面白くて
世界に引き込まれました。

〈平均人〉〈慢心した坊ちゃん〉目に見えない曖昧な集合体の大衆にキャラクターが浮かびあがるようです。

大衆はエリートの反対語ではないという説も面白く、
最初に私は大衆ではないと考えていましたが大衆が他人ごとから一気に自分ごとに変わりました。

 

 

次回も楽しみですね。

 

 

 

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