100分de名著 オルテガ『大衆の反逆』第二回 リベラルであること

100分de名著

 

私の大好きなテレビ番組、100分de名著 Eテレ月曜 22:25〜22:50

 

簡単なまとめと感想をつづります。

今回の名著は20世紀を代表する文芸批評『大衆の反逆』
作者のオルテガは大衆の時代の到来を今から1世紀前に予見した哲学者で思想家です。

 

第二回は真にリベラルであることについて紐解いていきます。

リベラルというのは自由主義のことであり、保守派と対立するものとして使われる言葉です。

対してオルテガは「保守的であるのがリベラルである。」むしろ保守的であるがゆえに私はリベラリズム(自由主義)を擁護すると書かれています。

一体どういうことでしょうか。

オルテガ が生まれる前、30年戦争(1618〜1648年)カトリックとプロテスタントの間に起こった宗教戦争がありました。

決着がつかなかったこの戦争の結果、ヨーロッパの人たちは自分にとって全然違う、時には虫唾が走る思想や考え方もまずは他者を認めていこう、寛容になろうとすることを学びました。

これがリベラルの発祥です。

あなたを認めますから、私についての考えも認めてくださいね。これが自由です。

自由主義は最高に寛大な制度である。なぜならば、それは多数派が少数派に認める権利だからであり、
だからこそ、地上にこだましたもっとも高貴な叫びである。

リベラルは多数派の自由ではない。

異なる他者と合意するための礼節、マナー、作法や言葉遣い。

自分と違う人たちとなんとかやっていく方法を身につけるのがオルテガにとっての政治です。

わかりやすい言葉でズバッと言ってくれ、というのが政治ではない。
1色に世界を染めるのではない。
多数派の意見で物事を簡単に変えてはいけない。

他者に寛容でいることはまどろっこしくめんどくさい事。その大変で難しいことがリベラルなのです。

革新的な人物がトップに立った時に、カリスマ性とリーダーシップを持ってものごとを一新していく。

一見、新しく自由な気がします。保守的なものからの脱却です。
多数派がそれに賛同したとしても、今まで昔から続いてきたものに畏敬の念や礼節を忘れていなけない。

少数派の意見に寛容であらねばならない。
相手の持っている自由を認めていく。

革新的な人はそれを失っているんではないでしょうか。

敵とともに生きる!
反対者と統治する!

これがオルテガの考える保守的であり、自由である真のリベラルなのです。

オルテガの「貴族」とはなにか

オルテガは敵や反対者と共に統治していける人間のことを「貴族」と呼びました。

ブルジョワやエリートでなく勇気や責任感を持ち、大衆に迎合しない精神の貴族のことです。

貴族とは

  • 生き方、哲学概念としての貴族
  • 自分とは異なる人と共に生きていける、ねばり強さや克己心を持っている人
  • 場をしっかりと持ち、社会の中で自分の役割を果たそうとしている人。

大衆に迎合せず、大衆と共にある人です。

オルテガは庶民の中にこそ貴族が存在するといいます。

思想とは、真理にたいする王手である。思想を持とうとする者は、そのまえに、
真理を欲し、真理を要求する遊戯の規則を認める用意がなくてはならない。

人間は有限的である以上、無限の真理にたどり着くことはできません。
しかしだからと言って全く諦めて根なし草のように生きていくのも感心しない。
常に真理に対して「王手」を指そうとする意志こそが重要です。

真理に対する考え方、私はよくわかります。私はよく真理の高い山を想像しています。
高くてけして登り切ることはできませんが、
一歩でも先に進むことが崇高なのだと。

低い位置にいた時の方が、わかった!と思っていたのに一歩登るとまたわからない、広すぎることに気づく。

その行動をオルテガは「王手」と言っているのですね。

近代人は真理を手にできると思っているんじゃないかとオルテガは危惧しています。
革新者とその多数派は自分が正しい、相手が間違っている。だから排除していいと考えがちではないかと警鐘を鳴らしています。

これは本当に陥りやすい考え方で、私も熱中してなにかを学べば学ぶほど、それだけが正しいことのように思ってさらに熱中してしまいます。
ヨガやマクロビにはまってヨガに興味がない人って愚鈍な人だと心の中で思っていた時期がありました。

学んでその分野に深くなりながらも、今までの慣習も良いところがあるという広く寛容な目を持ち続けることが大切です。

熱狂した大衆の「超民主主義」

カリスマや革新派によって、なにかを勉強することによって行き過ぎた多数派の欲望による民主主義を「超民主主義」と呼びました。

いづれも大衆による熱狂がこれを支えていました。
忘れてはならない、ヒトラーのような独裁者は大衆に選挙によって選ばれたのです。

革新者は見せかけの自由というパンをちらつかせて大衆にパン屋を襲撃させます。
その日はパン屋のパンを大量に強奪して大衆は自由を勝ち取った勝利に酔いますが、
パン屋が破壊されたらもうパンを作ることはできません。

昔から営まれていたパン屋(保守派)が実は自由を支えていました。

熱狂した多数派の大衆が支持するものには礼節や敬意、建設的な方針がまるでないのです。

オルテガは革命の時代に拳を挙げるよりまぁ座れ、と言っている。

人間を信じることの難しさと大切さ。

昔から大切にしてきた作法を守れ。古臭く思えるけれどもそれが真のリベラルなのです。

 

 

今回はリベラル、保守派の言葉から始まり、
政治の話なのかなと思いきや自分の生き方、在り方におとしこめる内容になっていましたね。
国も大衆も分解すればひとりの個になります。

オルテガは大衆の熱狂を怖れていたと同時にひとりひとりの人間、貴族の可能性を信じていたのだと感じました。

 

次回も楽しみです。

 

 

 

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